高崎の箕輪城は日本100名城の一つなんですよね!
箕輪城跡の空撮動画だよ
箕輪城の二の丸や本丸、御前曲輪の井戸から動画でご紹介します。
本丸は空撮してますので箕郷町や高崎市内が眼下に見えます。
箕輪城は長野業尚によって永正九年(1512年)に築城されました。
武田信玄をもってしてもなかなか落ちなかった箕輪城は、複雑に入り組んだ大堀切や大空堀と、大変見所も多い場所となっています。
高崎市にある史跡、箕輪城(みのわじょう)跡地に行って来ました。
箕輪城は梯郭式平山城構造で1512年に築城。
箕輪城は日本100名城(平成18年認定)の一つなんですよね。
これで箕輪城に来たのは人生で二度目になります。
一度目はかなり昔の話(中学生)なので、その記憶はほぼないくらい。今回はのんびりと散策しながら楽しもうと思います。
日本百名城は群馬県に2つあり、ここ箕輪城と太田市にある『金山城』が認定されてます。
ちなみに箕輪城が16番目、太田金山城が17番目に日本百名城に選定。
どちらも攻めこまれてもなかなか落ちなかった、まさしく難攻不落の名城と謳われている共通点があります。
ここを築城したのは長野業尚で、主な箕輪城主はめまぐるしく変わってます。
長野業正に内藤昌月、滝川一益、北条氏邦、井伊直政など、そうそうたる城主の名前が連なります。
また、箕輪城では毎年、武者行列や獅子舞、演舞などの箕輪城まつりを開催して、市と町で盛り上げているようです。
箕郷町で作ったと思われる箕輪城専用の駐車場も結構広いので、戦国時代の歴史やお城が好きな方にはおすすめできるスポットだと思います。

箕輪城が復元される話もあるようですが、現時点では復元されてません。
歴史好きの方からすればあまりいじるな!となるわけですが、復元されればもっとたくさんの人が箕輪城に来ると思うけどなぁ。
箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上に構築された戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。
この平山城は現在、日本100名城に選定された中では沖縄の首里城を含め51ヵ所あるらしい。
ちなみに平山城とは平野の中にある山や丘陵等に築城された城のことですね。

駐車場から歩くとまず出てくるのが搦手口跡地。
搦手口の説明看板によると、搦手口は城の大手口(追手)に対し、裏口に当たるとのこと。
この場所にも「馬出し」があったようです。

日本百名城箕輪城と書いてあるのぼり旗を横目に登っていくと怪しい看板があった。
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覚醒剤・シンナーは体がぼろぼろになって死ぬそうです。
城があった歴史的な場所にこのような現代の看板は不釣り合いですよねぇ(笑)
また看板の顔がリアルだ。

箕輪城跡復元想像図の看板。時代は長野氏時代のもの。
このような復元図があると、私のような素人は頭の中でイメージしやすいのです。

この大堀切によって城は南北に二つに区切られ中央にある土橋一つで連絡されている。
このように一方を失っても片方だけで戦闘を続けられる仕組みのものを「一城別郭の城」という。
土橋の南には見事な郭馬出しが構えられ出撃の気勢を見せている。(案内資料より)
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二の丸は縦横各八十メートル程の郭で、本丸が持久防御のための郭であるのに対し、これは出撃の拠点である。
東は搦手口に、西は白川口、大手方面へ、南は大堀切土橋から木俣方面へと四方へ出撃できるようになっている。(案内資料より)
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説明文(二の丸)
箕輪城の本丸と古井戸跡がこちら
戦国時代の箕輪城は、武将、武田信玄などと戦いを繰り広げ、武田家の群馬進出を阻んだ長野業政の居城です。
しかし長野業政の息子(長野業盛)の時代に武田信玄によって落城。
その後、北条氏から徳川家の重臣であった井伊直政の居城となってます。これぞ歴史じゃー。
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案内板(三の丸門跡と石垣)
本丸を最後に残して三の丸から鍛冶曲輪までフゥーフゥー言いながら歩いてきました。
ただ歩くだけでもフゥーフゥー大変なのだから、城を落とすとなったら相当な体力と頭脳も必要だと言う事!
の石垣(箕輪城跡).jpg)
いよいよ本丸にやってきました。ここが箕輪城の本丸です。周囲に堀がめぐらされ、城の最も主要な一区画。
とにかくだだっ広く何もない!だからイマイチイメージもわかない。
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本丸の東側には土塁がのびて、二の丸へ通じる南門には馬出しがあり、奥には御前曲輪があります。

この井戸が発見されたのが昭和二年。
御前曲輪の井戸は豪雨がきっかけで見つかり、深さは20メートル。
古井戸の中からは長野氏の墓石などが多数見つかった場所でもあります。
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御前曲輪 井戸跡
そこそこ大き目の砲弾が二つありました。
解説がないので何に使われた砲弾なのかはわかりませんでした。
解説がないなんて素人に不親切だぞ、高崎市。
久しぶりに箕輪城にきて感じたことは、まず箕輪城を囲っている堀が凄いという事。
箕輪城の堀を見て、改めて日本100名城である箕輪城を守った堀に関心させられました。
箕輪城の本丸は南北に約100m、東西に約70mの広さです。
これだけ広い場所に観光で人を呼ぶなら、太田金山城のように整備ともう一工夫が必要だと思いました。
もっと頑張れ高崎市!
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彰忠碑と砲弾
お城用語
私みたいにお城の素人の方のためにちょっと解説を加えますね。
日本100名城とは?
財団法人日本城郭協会が2006年に定めた名城の一覧。 選定基準は「優れた文化財・史跡」「時代・地域の代表」「著名な歴史の舞台」「各都道府県1条以上5城以内」「環境保存状況や城郭発達史からの観点」となっています。
【本丸(ほんまる)】
城構えで最も主要な一区画であり、普通は天守閣がある。
周囲に堀をめぐらし、お城(本丸)を守っている。
【虎口(こぐち)】
城郭における要所にある出入り口、主に戦いのときの出入口。
【城郭(じょうかく)】
お城を敵の攻撃から守るための施設。
【曲輪(くるわ)】
曲輪(くるわ)は「郭(くるわ)」とも書き、城の中で土塁や石垣、堀などで広場になっている空間のこと。
【竪堀(たてぼり)】
斜面からの敵の侵入を防ぐために掘られた防御のための堀。
【堀切と竪堀の違い】
簡単に言えば堀切が水平の堀で竪堀が斜め(斜面)の堀。
【馬出(うまだし】
城門前の堀を渡る土橋などの先に小さい曲輪(馬出)を設置して攻撃・防御の便利な陣地。
【土塁(どるい)】
曲輪の周囲などに土を盛り、敵の攻撃から城内部を防御するもの。
名称:箕輪城跡(国指定史跡)
住所:群馬県高崎市箕郷町東明屋
見学料:無料
駐車場:無料あり
箕輪城跡のアクセスと地図
