群馬B級スポット

素肌攻めの膳城を見てから山上の多重塔(塔婆)へ!

膳城をモペットで攻め込んだ

 

自転車バイクのモペットでツーリングを兼ねて武田勝頼による膳城素肌攻めで有名な膳城跡と国指定重要文化財の古い塔婆、山上の多重塔(石造三重塔)を見てきました。モペットで上毛電鉄膳駅を出発して膳城跡公園、粕川歴史民俗資料館向、山上の多重塔を簡単にご紹介しています。ちなみに山上の多重塔も駐車場が完備され、無料で見学ができます。

 

山上の多重塔(塔婆)国指定重要文化財

 

上毛電気鉄道の膳駅から北上して膳城跡公園へいざ!

 

県内には戦国期のたくさんの城跡はありますが、調べる限り大きな天守閣を持ったお城は見あたりません。知り合いの大先輩に日本全国の有名どころのお城は全て制覇している歴史と大の城好きの方がいます。群馬県内にもたくさんの城跡がありますが、ここだけは行った方がいいと言われたお城をここで紹介しています。紹介している城跡は大先輩いわく、戦国時代の遺構がちゃんと残存していて歴史的な背景もそれなりに判明している城跡になります。

 

そこで今回モペットに乗ってやって来たのが前橋市粕川町の「素肌攻め」で知られる膳城。膳城の最寄り駅は上毛電気鉄道上毛線の膳駅。ここから膳城まではモペットで5分かからないくらい。膳城に行く前に膳駅に立ち寄りましたが人っ子一人いないのどかな無人駅でした。ここから北上して膳城に攻め込みます。

 

上毛電気鉄道上毛線膳駅

 

上毛線の膳駅から北に向かって走ってくると膳城跡公園がある。目印は膳城の小高い丘森と粕川町歴史民俗資料館の看板。

 

膳駅には人が見当たらなかったけど膳城跡公園には遊んでいる子供がファミリーでいました。遊具が城を模って子供がいかにも喜びそうな公園です。

 

膳城跡公園

 

公園と膳城の間にあるのが無料で開放されている粕川町歴史民俗資料館と粕川出土文化財管理センター。ここには赤城山南麓地域を中心に考古資料や民俗資料が展示してあったけど、膳城についての展示はとくになかった。

 

粕川町歴史民俗資料館&粕川出土文化財管理センター

 

粕川町歴史民俗資料館内部には、主に旧石器の古墳群出土の埴輪や昔の農耕具、養蚕具などが中心に展示してあったけど、ここは個人的にイマイチ興味がわかなかった。なのでそそくさと退散でござる!

 

粕川町歴史民俗資料館内部

 

続いて室町時代から戦国時代にかけての丘城の膳城本丸に攻めこむと、山崎一氏が作成した膳城の全体図があった。今は住宅になっている部分もあるけど、当時としてはかなりでかいのがよくわかった!

 

山崎一氏による膳城の地図

 

武田勝頼による「素肌攻め」が有名な粕川町の膳城

 

別城一郭の構造を持つ膳城は、西と南を兎川に面し、東西が約300m、南北に約500mの紡錘形の城だった。案内看板には膳城の築城年代は不詳とありますが、およそ室町時代〜戦国時代にかけての城だったようです。

 

また、武田勝頼による「素肌攻め」が著名と書いてある。本丸周辺の空堀や土塁は素晴らしいかな、ほぼ当時のままらしい!

 

群馬県指定史跡 膳城跡

 

武田勝頼による「素肌攻め」とは、上杉景勝を支持していた武田勝頼は、厩橋城をはじめ大胡城、山上城、伊勢崎城を次々に攻略していた。その後、武田勝頼が支配した地域を平服のまま巡検中に、酒に酔った膳城の兵士たちがまさかの敵襲とあぁ勘違い!!

 

酒に酔っ払っていた兵士たちが、武田勝頼軍に攻撃を仕掛けてしまったのです。あらら・・・

 

怒った勝頼軍はナント甲冑を着けない平服で膳城を攻め落とし、城主以下の膳城は落城。勝頼軍が甲冑を着けない平服だったので、これを膳城「素肌攻め」として云い伝えられています。

 

まともに戦えないほど酒を飲んで酔っていたのでしょう。今も昔も酒で身を亡ぼす典型的な例なんでしょうね。そしてこの落城後に膳城は廃城になったと言います。

 

いつの世も酒は飲んでも飲まれるな!ですよね。

 

膳城跡内堀

 

画像のように堀や土塁はかなり良好な形で残ってます。

 

膳城跡二の丸と袋曲輪

 

膳城跡袋曲輪と外堀。

 

膳城跡袋曲輪と外堀

 

ここは戦後に膳氏の末裔という膳桂之助さんが本丸周辺を個人で買い取って県に寄付した模様です。本丸北の粕川歴史民俗資料館と粕川出土文化財管理センターが建っている場所は北郭跡。

 

膳城跡本丸広場

 

場所:膳城跡公園
住所:群馬県前橋市粕川町膳109
見学料:無料
駐車場:あり

 

膳城跡公園の地図とアクセス