群馬B級スポット

富岡製糸場の陰に隠れた世界遺産の高山社跡

群馬県で世界遺産登録された富岡製糸場と絹産業遺産群絹産業遺産群は荒船風穴、高山社跡、そして田島弥平旧宅です。

 

どうしてもメディアで紹介されるのは富岡製糸場になってしまうため、富岡製糸場は全国から来る観光客で賑わっています。多くの芸能人が来訪して、富岡製糸場周辺の昔からある女工が食べた食堂紹介や焼まんじゅう、ほるもん揚げなどのB級グルメも紹介されてます。

 

しかし、藤岡にある高山社跡も立派な世界遺産。富岡製糸場に隠れた高山社がどんなものか気になったので行って来ました。

 

高山社跡には広い駐車場がありますが、先客は関西ナンバーと静岡ナンバーの2組だけ。うーん寂しいかな、やはり富岡製糸場とは大違いだ。

 

高山社には大きな駐車場も完備

 

大きい駐車場には私たちの車と他2台の計3台だけ。国指定史跡としては寂しい感じ。まー仕方ないのかな。車椅子の方は高山社の目の前に別途駐車場がありますので、そちらを利用できます。

 

高山社に続く遊歩道があります

 

高山社に続く遊歩道の入り口付近は現在工事中でした。右の176号は車が走っていませんね。鳥の鳴き声が聞こえるホントに静かな場所ですよね。

 

遊歩道を歩いて高山社まで5分くらいです

 

遊歩道は右に静かな川、左に竹林があります。のんびり散策と散歩、雑談をしながら向かっています。

 

高山社の門構えが見えます

 

遊歩道をとぼとぼと歩いていたら高山社跡が見えてきました。もう橋を渡れば高山社です。目の前の車椅子の駐車場に1台車が止まっていました。こんなに天気が良いのに計4組だけか・・・ 少しPR活動が足りないのかな。

 

高山社跡の石垣

 

立派な長屋門です。学校だから昔は校門って呼んでたのかな?

 

高山社跡の正面が蚕室

 

長屋門を入ったところに年配のガイドさんがいました。藤岡市の教育委員会文化財保護課の人なのかな。丁寧に高山社を創始した高山長五郎さんのことや歴史的なことを教えてくれます。観光客が少ないので親切で丁寧に語ってくれました。もう説明がしたい感じが伝わってきました。

 

観光客が多い富岡製糸場ではこのような詳しい話は無理ですね。だから暇なので詳しく聞ける良い点も高山社にはありますね。

 

向かって左の家屋が高山長五郎さんが暮らしてた場所

 

高山社跡の室内と養蚕展示物を見学

 

ここ高山社跡は、文政13年に生まれた高山長五郎が養蚕法(ようさんほう)の改良を行った場所です。ここで養蚕の研究を行い、清温育(せいおんいく)という当時としては優れた養蚕飼育法を考案したようです。さしずめここは研究所ですね。

 

養蚕法(ようさんほう)の改良を行った場所

 

ガイドさんによるとここは学校みたいな場所で、多くの生徒や社員を育てて、その技術を全国に教えに派遣したようです。優れた清温育が日本全国に広まったのも、高山長五郎のおかげみたいですね。

 

長さんは、ドリフターズの故いかりや長介さんと違っってハンサムボーイです。

 

高山長五郎

 

その後、本社を藤岡町に移して、ここは高山分教場になったようです。

 

きっと高山長五郎は先見の明があった技術屋の社長だったのでしょう。

 

高山分教場

 

当時の展示品がそのまま飾ってあります。おそらく当時は試行錯誤を重ねて最新の機器だったのでしょうねー。

 

最新の機器

 

お蚕の作った繭。お蚕の模型もいました。気持ち悪くて苦手!

 

高山長五郎が暮らしていた部屋

 

ここは高山長五郎が暮らしていた部屋です。ここで様々なアイデアと技術的なことを考えていたのでしょうね。凡人の小生とは大違いだなー。

 

お蚕を飼っていた清温育

 

お蚕を飼っていた清温育。清温育は、蚕の飼育が安定しなかった時代に、収繭量の安定と品質向上を格段に進歩させた技術。温度調節と湿度調節、そして管理を確立させた技術のようですね。

 

高山社養蚕学校の裏側も現在あちこちが復刻中みたいでした。親切に説明してくれるガイドさんは入口と高山社室内にもいました。あまり混んでいないので、いろんな話が聞ける富岡製糸場とは異なった落ち着いたスポットです。

 

高山社養蚕学校の模型

 

場所:世界遺産 高山社跡
住所:群馬県藤岡市高山236−1
入場:無料
開館時間:9時〜16時
管理:藤岡市教育委員会、藤岡市観光協会、高山社を考える会

 

藤岡市高山社跡のアクセス


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