群馬B級スポット

上小塙稲荷山古墳の上に建つ烏子稲荷神社!

珍しい稲荷神社を空撮した

 

大変珍しい神社だと思います。何といっても上小塙稲荷山古墳の上に烏子稲荷神社の本殿が建っています。神社の裏手には古墳の石室があり、古くは武田信玄が箕輪城攻めの時に戦勝を祈願しに来た神社でもあります。

 

古墳の上に建てられている高崎の烏子稲荷神社

 

まずは烏子稲荷神社と書いて『すないごいなりじんじゃ』と読みます。烏川のカラスに子供のコだから普通に読めば『からすこ』って読めますが、スナイゴが正解。看板にも親切にカタカナでスナイゴとふりがながふってありました。ここは高崎市の指定重要文化財になっている珍しい神社なんです。

 

何が珍しいかって言うと、神社が古墳の上に建てられているのです。古墳の上に神社がある光景なんて、当方もここが初めてです!ナニコレ珍百景だ。

 

正確には、上小塙稲荷山古墳(かみこばないなりやまこふん)の上に社殿が鎮座しています。 (烏子稲荷神社境内案内マップ参照)

 

本殿の裏側にはちゃんと古墳の石室も残っています。

 

烏子稲荷神社の社殿と境内案内マップ

 

烏子稲荷神社の隣には池があって、池の上に建つように七福神のひとりである弁財天様がいた。その造りからしてまだ新しそう。琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天は弁才天とも書き、大黒天様と同じでルーツは古代インドの水の神なんですよね。これで池の真ん中が定位置もうなずけます。

 

隣接する池の上にいる弁財天様(烏子稲荷神社)

 

この画像のように弁財天様は良いお顔をされてます。

 

それに比べて・・・

 

弁財天(烏子稲荷神社)

 

境内に入ると右側に社務所があり、身代り達磨がいました。こちらは弁財天様と大違いで達磨さんのお顔がよくわからない!

 

おそらく今まで撫でられ続けてこんな容姿になってしまったと思われる。本当にご苦労様ですと思った!そう思ったら私は身代り達磨を気軽に撫でられなくなり、身代りは本当に困った時にとっておこうと思った。

 

身代りのお礼に七種類のお菓子をお供えする儀式が面白い。達磨さんってお菓子が好物なのか!?外見からはどう見ても酒って感じなんだけど・・・

 

身代り達磨(烏子稲荷神社)

 

入り口には愛嬌ある顔をした狛ガエルがいました。神社といえば参道の両脇にいるのは狛犬が一般的。その狛犬ではなく狛ガエル、犬もカエルも神の使いになっているのだろう。たぶん!

 

子供の頃から犬もカエルも両方大好き。 だってカエルは『無事に帰る』や『福や失せ物がかえる』、『若返る』、『体調が元にかえる』なんて言いますからね。縁起担ぎには欠かせませんわ!

 

境内には稲荷神社らしく、愛嬌ある顔の狛犬や狐がたくさんいます。

 

狛ガエルに様々な表情の狐たち(烏子稲荷神社)

 

上小塙稲荷山古墳には石室も残っている

 

入口左側の手水舎で手と口を清めて参拝へ。ここにも親切に所作の案内看板が画像付であった。

 

烏子稲荷神社は、あの武田信玄公が箕輪城の攻略に際して戦勝祈願を行った歴史があるみたい。あの武田信玄公もこの地を訪れたのか。

 

難しい読みの「すないご」の由来は、神社のある一帯を「須苗郷」(すなえごう)と呼んでいたので、その総鎮守を「すないご稲荷神社」と呼んだ説が一つ。また、須苗郷の中央を流れていたのが烏川で、神社氏子の子と合わせて烏子(すないご)になったというような説があるそうです。

 

個人的には二番目の烏川説でいいような気がするけど・・・。タイムマシンでも発明されなければ説の事実は永遠にわからない。

 

さあどっち!私の本音はどっちでもいいです。

 

烏子稲荷神社の鳥居と参道

 

烏子稲荷神社の拝殿と本殿。奥には左右に狐が祭ってあります。参拝の仕方通りに祈願しました。よろしくお願いします。

 

烏子稲荷神社本殿

 

やはり上小塙稲荷山古墳の上に建っているのは本当だった。古墳は50m余りの円墳で、石室がありました。だが石室は入口が塞がれている。

 

上小塙稲荷山古墳

 

社殿右側にある神楽殿。他にも安産祈願に合格祈願にも訪れている人が多いようだ。

 

烏子稲荷神社社殿右側にある神楽殿

 

この鳥居が並んだ光景は、伊勢崎の小泉稲荷神社を思い出した。小泉稲荷と同じなら商売繁盛を祈願して訪れているのだろう。いずれにしても参道にも境内にも桜の木が多く植えられているので、春先の参拝も気分がいいと思った。

 

烏子稲荷神社の建ち並ぶ鳥居

 

場所:烏子稲荷神社(上小塙稲荷山古墳)
住所:群馬県高崎市上小塙町564−1
見学:無料
時間:あり
※市指定重要文化財

 

烏子稲荷神社の場所とアクセス地図