群馬B級スポット

富士見で偶然見つけた船津伝次平のお墓

来るつもりはなかったが、ツーリングの途中で偶然発見してしまった上毛かるたになってる群馬県偉人のお墓。県人として知ったからには敬意を払ってお墓参りをしようと言う事になって友人と訪れたのが船津伝次平さんのお墓。

 

上毛かるたでは新島襄や塩原太助などの偉人が何人か登場するが、子供の頃そのほとんどの方の偉大な功績を知らないで上毛かるたをやっていた。今回はその中のひとり、上毛かるたの「ろ」に登場する「老農、船津伝次平」。

 

友人と道の駅ふじみでかき揚げうどんを食って、のんびり帰路についた富士見町原之郷を偶然走っていてそのお墓を発見してしまったのだ。

 

県指定史跡船津伝次平のお墓看板

 

道の駅ふじみは隣に富士見温泉が併設している複合施設。地場産野菜が安いのと、かき揚げうどんがなかなか旨い。うどんを食すのは今回で確か三回目かな。一杯360円ナリ。

 

道の駅ふじみのかき揚げうどん

 

船津伝次平さんのお墓

 

場所は富士見方面から県道101号線を国道17号方向の西に進むと左側に看板が出てきます。 目印は九十九山。

 

今さらながら上毛かるたの「老農、船津伝次平」の老農って何だ?と思い、ウィキペディアでググッてみました。

 

老農(ろうのう)とは、主に明治時代に在来農学を研究し、自身の体験を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者のこと。伝次平さんは農業の偉大な大先生って言う事ですね!

 

船津伝次平のお墓案内板

 

県道101号線を左折して九十九山方面に下ってくると船津伝次平のお墓看板が出てきます。看板に従って走ると船津伝次平さんのお墓に現着しました。なお専用の駐車場はありませんでした。

船津伝次平のお墓

 

船津伝次平は群馬県出身で幕末から明治時代に活動した農業研究家です。

 

上毛かるたになってる明治の偉人船津伝次平先生のお墓

 

船津伝次平は日本三老農の一人です。県内で盛んであった養蚕の基本である桑の研究をし、成果を発表及び出版。農業全体の近代化に努め、駒場農学校(現東京大学農学部)の教官になりました。ちなみに日本三老農の残り二人は奈良の中村直三と香川の奈良専二です。

 

船津伝次平さんのお墓

 

手を合わせてお墓参りをしました。案内板によると船津伝次平さんは、1832年富士見町で生まれ、幼名は市造、子供の頃から学問に励み俳句が好きだったお人柄みたい。

 

僕なんぞ子供の頃は遊びに励みマンガが好きだったお人柄、やっぱ偉人は到底無理だわね!

 

船津伝次平の説明看板

 

上毛かるたの「め」の「銘仙織り出す伊勢崎市」が変わったのかと思ったら、よく見たら地元富士見の富士見かるたの15番札だった。

 

富士見かるた「め」

 

墓地の敷地内の北側には、お堂に入った県指定重要文化財原西の阿弥陀座像がある。

 

県指定重要文化財原西の阿弥陀座像

 

原西の阿弥陀座像案内板

 

船津伝次平先生のお墓参りに来たことによって、また一つ上毛かるたのことを理解することが出来た。

 

来てよかった、だって私は群馬県民だもの!

 

上毛かるたの「ろ」

 

場所:船津伝次平のお墓
住所:群馬県前橋市富士見町原之郷乙539
お参り見学:無料
駐車場:なし

 

船津伝次平のお墓の場所と地図