元助が供養に建立した赤穂四十七義士石像を空撮!

地元の元助が供養のために建立した赤穂四十七義士石像の遺構を空撮でご紹介しています。 岩盤の傘がかかった神秘的なこの場所に、20年もの長い歳月をかけて元助の魂の作品が確認できます。

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安中市の岩戸山には赤穂四十七義士石像があります

安中市指定史跡の赤穂四十七義士石像(あこうしじゅうしちぎしせきぞう)は、長野新幹線の安中榛名駅から榛名町方面(県道48号線)へ向かい、少し走ると左側に看板が出てきます。 そこを左に曲がるとすぐに専用駐車場があり、そこから杉道を徒歩で300〜400m程の場所にあります。

安中榛名駅から赤穂四十七義士石像に向かう途中で三人の撮り鉄(鉄道撮影)がいました。 鉄道マニアではないのでわからないが、もしかしてここは新幹線の撮り鉄ポイントなのかも知れない・・・。

県道48号線の看板から100mの場所に専用の駐車場があった。

赤穂四十七義士石像入口
赤穂四十七義士石像入口

駐車場からすぐのところに元助遺跡義士石像入口。 ここから登坂。入口には親切に竹の杖が用意してあります。ご自由に使ってくださーい!

元助遺跡義士石像入口です
元助遺跡義士石像

花粉症の方はどうなんだろう?杉の木が多い登り道。でも道はちゃんと安中市で整備されてるので歩きやすい。 でもよくもまぁこんな山中に元助が供養碑を残したと感心しながらさらに進んでいく。

赤穂四十七義士石像に向かう山道
赤穂四十七義士石像に向かう山道の写真

歩いてあっという間に第一見学ポイントに到着する。岩戸山の山道から左側に出現。 ここは入口から歩いて5分もかからない場所。

自然なのか人工なのかわからないが岩傘が見事で見ごたえ十分! ただしこの場所にある石仏などは元助の作品ではないようですね。 案内板を見ると岩戸観音堂となっている。

岩戸山の岩戸観音堂
岩戸観音堂の画像

岩戸観音堂の風景
岩戸観音堂の風景画像

ゴツゴツの岩戸山にある岩傘は、自然なのかそれとも年月をかけて人間が削ったのか?それはわかりませんが、岩壁の傘が大きいので横殴りの雨が降っても濡れないように奥まってます。

このポイントからさらに山道を進んでいくとついにありました!

元助が20年の歳月をかけて作成した赤穂四十七義士石像が! ここも岩壁の傘を利用して四十七義士石像が鎮座していました。

赤穂四十七義士石像(岩戸山)
赤穂四十七義士石像(岩戸山)

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赤穂四十七義士石像は安中市指定史跡です

ここ東上秋間の岩戸山には、江戸時代前期の武士、片岡源五右衛門(赤穂浪士四十七士の一人)の下僕(げぼく)であった元助が、浅野長矩(ながのり)夫妻と四十七義士の供養のために建てた石宮と47の石像が残ってます。建てるのにかかった年月は20年。見れば歳月をかけて建立したのがよくわかります。下僕(げぼく)とは、簡単に片岡源五右衛門の召使いの男ですね。

合計では岩窟の下に49基の石像がずらーと並んでます。

赤穂四十七義士石像
赤穂四十七義士石像

そもそも何で赤穂四十七義士の石像がここ群馬の安中市東上秋間にあるかというと、忠臣蔵で有名な大石内蔵助や浅野家臣ご一党が仇討ちをして、仇討ちを果たした後に全員が切腹しました。

赤穂四十七士や浅野内匠頭の墓所である東京の泉岳寺(せんがくじ)に皆が眠り、忠臣蔵の話は終わります。ここまでの話は有名です。

そこで元助の話に戻りますが、元助は元々群馬の安中市秋間出身。

赤穂藩片岡源五右衛門の下僕になっていた元助は生き残り、赤穂藩士による討ち入り後に故郷に帰りました。 帰郷した元助はその後、道心となり名前を音外坊と改めました。そしてこの地に四十七義士の供養の為、20年の歳月を経て石像を建立したのです。 まさに元助の執念の作品だと感じる場所。

赤穂四十七義士石像の案内板
赤穂四十七義士石像案内板

ちなみにここの岩戸山は405メートルらしいっすね。

赤穂四十七義士石像(岩戸山)
赤穂四十七義士石像(岩戸山)

ずらーっと並んだ赤穂四十七義士の石像は見事です。

ずらっと並んだ赤穂四十七義士石像
ずらっと並んだ四十七義士石像

まー今でこそ道が整備され簡単にここまで来れますが、当時、元助がここに石像を運ぶだけでも大変だったと思います。 なんでも鑑定団の中島誠之助さん流に言わせれば、元助は「 いい仕事してますね〜」って感じです。

赤穂四十七義士石像
赤穂四十七義士石像

場所:赤穂四十七義士石像のアクセス
住所:群馬県安中市東上秋間3197
見学料:無料
駐車場:あり
※毎年3月25日に供養祭

赤穂四十七義士石像の場所と地図

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